嵐を呼ばない海つばめ      原則敬称略

真贋を問い疑問に感じた事を口に出したい

雛祭りは鄙祭り

 ♪灯りを点けましょぼんぼりに お花を挙げましょ桃の花♪

 明日は桃の節句、女子の祭り。

 というわけで、フジテレビ「笑っていいとも」ではひな人形が大きく取り上げられた。

 番組を見ていないのでどのような実物かは判らないが、ひな人形のようなイラストが描かれた板を標的にした「射的ゲーム」のようなものだったらしい。

 そのようなものを的にして撃つとは何事かとか、中には男雛女雛は天皇皇后を現しているのにそのような行為は不敬だという意見もあったとか。

 観光地の射的も人形を的にしているぞという真っ当な意見もあったが。

 《「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然とせず、その起源説は複数存在している。平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。

 その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。

 初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった》=何でも判るWikipediaより=。

 「人形辞典:ひな祭りの歴史」www.ningyo-kyokai.or.jp/jiten/history.html には、「ひな祭りの歴史は古く、その起源は平安時代中期(約1000年前)にまでさかのぼります」と断定的な記述がある。

 当然ながら、それは記載された書物で遡れる歴史だ。

 文章に現れるまでには全ての事象と同様に何年、何十年、ひょっとすると何百年もの埋もれた歴史があるはずだ。

 そこで歴史家の手法である、一部分の事実から導く推論を私も提出する。

 ひな祭りの元々は紙型で作った人形を川に流した事が始まりだといわれる。

 それは何を意味するのかといえば、死者の鎮魂、慰霊ではないだろうか。

 天災、病災の前に為す術もなく死んでいった身内、子供がこの世に未練を残さず成仏して欲しいという想いが、川に流した人形が消え去る事で「成仏してくれた」と思い込む。

 それは推論でしかないが、まったく違うとも言い切れないのは古代人の精神世界だからだ。

 そして「ひな祭り」という名称は「雛祭り」と書かれるが、本来は「鄙祭り」ではないだろうかと推測する。

 《鄙 とは - コトバンクkotobank.jp/word/鄙 - 都市部から離れ た地。いなか。「都鄙・辺鄙」 2 いなかっぽい。ひなびている。つまらなく卑しい」という意味になる》。

 さて、こじつけになるとは思うが、「鄙にはまれな」という言葉がある。

 田舎にしては美人がいるというような意味で使われてきた。

 鄙=田舎で行われてきた「慰霊・慰安」の儀式を征服者が真似をして「鄙の祭り」と称したのではないか。

 それが都で「洗練」されて、人形作りの人々が着飾った「ひな人形」作りに携わり今のようになったのだろう。

 解釈に強引さは否めないが、たぶん間違ってはいないだろう(キッパリ)。

 なぜ、こんな事を書くのかというと、先述のように男雛女雛は天皇・皇后だと強弁する人が出てくるからだ。

 もし、それが正しいとすると、天皇・皇后を見せ物扱いにしたり、晒し者にしたり、果ては川に流してしまう不敬を犯してきた事になるのだが、そういう主張をした人はそれに気付かないようだ。

 物事は主観だけでなく客観的にも判断してみようという思いの記事だ。
 
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